大判例

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最高裁判所第一小法廷 昭和53年(オ)175号 判決 1978年10月26日

上告人 日下正一

被上告人 国 ほか二名

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告人の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。医療費控除を定める所得税法(昭和四五年法律第三六号による改正前のもの)七三条は、経済的差別待遇を規定するものではなく、また、健康で文化的な最低限度の生活を営む国民の権利とかかわりがあるものでもないから、所論違憲の主張は、いずれもその前提を欠く。論旨は、すべて採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判官 本山亨 団藤重光 藤崎萬里 戸田弘 中村治朗)

上告理由

一 原判決は判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違背がある。

(一) 原判決は医療費控除を定める所得税法第七三条が憲法第一四条に違背するにかかわらずこれを無視した違法がある。

実定された法律は必ずしも完全なものではなく、不明確、欠缺、矛盾があり、かかる場合は憲法およびその法律の立法精神から解釈すべきものであるところ、所得税法第七三条は憲法第一四条に違背する瑕疵ある規定というべきである。

所得税法における所得控除の項目は

1 雑損控除

2 医療費控除

3 社会保険料控除

4 小規模企業共済等掛金控除

5 生命保険料控除

6 損害保険料控除

7 寄附金控除

8 障害者控除

9 老年者控除

10 寡婦控除

11 勤労学生控除

12 配偶者控除

13 扶養控除

14 基礎控除

以上の一四項目であり、多少のニユーアンスの差はあるにしても右何れも憲法第二五条第二項の「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」とする生存権的基本的人権の具体的施策としての控除項目にほかならない。

およそ社会福祉ないしは社会保障は、貧乏、失業、疾病および老年対策を四本柱とするものであつて、その内医療費控除は貧乏、疾病および老年に直接関係する生存権的基本的人権にかかわる問題であるところ、所得税法(昭和四二年現行)第七三条は、所得金額の百分の五(以下「足切率」という。)に相当する金額(以下「足切額」という。)を設け、右足切額の最高限度額を金三〇万円とするものである。このことは所得金額年額二〇万円の者と年額六〇〇万円の者とを比較したとき、前者に対しては金一万円をこえる部分につき、後者に対しては金三〇万円をこえる部分につき適用されることを意味する。したがつて形式的には極めて公平かの如くみられるが実質的には所得に反比例し医療費控除は著しい格差となりそのウエイトは一対三〇であり、経済的差別待遇をするものであるから、憲法第一四条第一項に違反する。

(二) 原判決は医療費控除を定める所得税法第七三条が憲法第二五条第一項に違反するにかかわらずこれを無視した違法がある。

そもそも医療費控除は社会福祉ないしは社会保障の四大施策たる貧乏、失業、疾病および老年のうち、貧乏、疾病および老年を対象とし憲法第二五条に定める生存権的基本的人権を守るため国に課された社会的使命を具体的に達成する手段の一つとして税額軽減となつているものである。

そして医療費診療基準は、国の関与のもとに日本医師会または日本歯科医師会が診療報酬を決定し、所得の如何にかかわらず、右診療報酬が一律に適用され、零細所得者ないし低額所得者に対し国の補償が何ら存しないことは明白な事実である。

してみれば足切率の存在は、国家の課税権の乱用であつて、単なる数字の遊戯を弄するに等しく他の控除項目と同様に免税額を設定し最高足切額たる金三〇万円以下の医療費は全額課税所得から控除を要すべく、特に上告人の如く所得金額金二〇万円以下の零細所得者の生計費は生活保護法による保護世帯の扶助額以下の生活を国家が強制する結果を招くものであつて、健康にして文化的な最低生活を保障する憲法第二五条に違背するものである。

(三) 原判決は判決に影響を及ぼすことが明らかな所得税法第七三条の解釈を誤つた違法がある。

所得税法第七三条の立法精神は医療費につき実質的平等および税額軽減を目的とするものである。したがつて他の所得控除と同様に、金三〇万円を免税額とするものであつて、同額以下は実支出額を医療費控除として全額みとめるものと解されるにかかわらず本件は同条の解釈を誤つた違法がある。

二 原判決は判決に影響を及ぼすことが明らかな重要事項について判断を遺脱した違法がある。

(一) 杉並税務署長は上告人に対し昭和四三年五月二二日午前一〇時を指定して同署に呼出し、担当職員が所得税法第七七条第二項の規定により控除対象配偶者がその年にうけた給与で青色専従者給与として必要経費に算入される金額がある場合にその金額が配偶者控除額に満たない場合には、その満たない部分の金額を配偶者控除として所得金額から控除すべきことを知り、かつその申請の時期が同日となることを知り、故意又は過失により、配偶者控除金五万五、七六八円を計上せず所得控除額金四一万五、七九二円となるところこれを金三七万四、二三五円となし、所得税額が〇円となるにかかわらず金一、二〇〇円となし、よつて公権力の行使に当る公務員の違法な職務行為によつて上告人は金一、二〇〇円の損害を蒙つたものであるから被上告人国は国家賠償法第一条第一項の規定にもとづき上告人に対し右損害金一、二〇〇円を賠償する義務がある。

(二) 仮にそうでないとしても被上告人国は上告人に配偶者控除金五万五、七六八円があるから所得控除額金四一万五、七九二円となり、所得税額が金〇円となるにかかわらず法律上の原因なくして金一、二〇〇円の所得税額を徴し上告人に右同額の損失を与えたものであるから、これが返還の義務を免がれない。

(三) また本件課税処分は課税手続に重大かつ明白な瑕疵あり違法無効のものである。

すなわち被上告人のいう修正申告書は用紙の表面は白紙であり、裏面に上告人の住所および署名捺印があつたとしてもその他が白紙で何ら数字の記載なき状態において、かつ被上告人のいう右修正申告書とは関係なく別途納税通知書を発行したものであるから課税処分の手続に重大かつ明白な瑕疵あり違法無効である。

(四) 上告人が本件損害の発生および加害者ならびに違法行為として被上告人等に対し法律上の賠償請求が可能だと気付いたのは、昭和四七年七月一日、杉並区長が部下住民税担当職員をして上告人に対し昭和四二年分の所得税および昭和四三年度住民税の課税が違法行為であり、右救済手段は訴訟以外にない旨の教示をさせたときであり、右昭和四七年七月一日が本件損害賠償請求の起算点をなすものである。

三 原判決は判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認の違法がある。

(一) 本件課税処分は修正申告書が上告人の意思にもとづいて提出されたものであるという事実誤認がある。

すなわち杉並税務署長は上告人に対し印鑑持参の上昭和四三年五月二二日午前一〇時を指定し、同日時に出頭しないときは制裁を加うべき旨を付記して出頭要求し、同日呼出した数十名を順次面接して上告人の順番となり僅々二、三分間で面接を終えたが、単に税務署の事務処理に協力を求め一枚の紙片に住所および署名捺印をさせたにとどまり、右紙片が修正申告書の用紙である旨および署名捺印が修正申告である旨の説明は一切なく、かつ上告人は過去において修正申告したことがなく、また修正申告書の用紙を見たことがなく、かつ提示された紙片は裏面であつたから判断の余地もなく、数字その他一切の記載のない紙片には上告人の修正申告の意思が片鱗も存しない違法なものである。

(二) 同日、杉並税務署は右住所および署名捺印のほか何ら数字その他一切の記載なき右紙片とは関係なく、別途上告人に対し所得税額金一、二〇〇円の納税通知書を交付し同額を徴収したが、右課税処分は課税の前提を欠くものであるから違法なものである。

(三) 本件訴訟係属後、第一審東京地方裁判所の準備手続期日たる昭和四九年八月一日、被上告人国から前記紙片に数字を記入して作成された書証(<証拠略>)が提出され、上告人は初めて右紙片が修正申告書であつたことを知り、かつ修正申告の意思が全くないにかかわらず詐欺により右申告書が騙取されたことを知つたから同年一〇月三〇日付書面をもつて民法第九六条第一項により右修正申告を取消した

ところで被上告人国の、「修正申告」に名を藉り国家権力をもつて納税者を税務署に呼出し公然詐欺または脅迫を加えて修正申告させ税金を違法に搾取する不明朗、不合理な税務行政は断じて許容し難いところであり、永年の積弊は是正を要すべく、本件課税処分もまたかかる「修正申告」に名を藉りた詐欺行為であり、本件課税処分は右取消によつて課税の前提を欠き違法なものである。

四 原判決は判決に影響を及ぼすことが明らかな経験則違反がある。

すなわち本件修正申告書が上告人の意思にもとづくものであれば、杉並税務署の職員は上告人に対し少くとも修正申告である旨および修正申告書の用紙であることの説明が必要であり、一般的には上告人の眼前で右用紙の所定欄に数字が記入された上読み聞けの手続を経て上告人に確認させ、しかる後に上告人の住所、氏名および捺印を求めることが常識であり、かつ社会慣行であるばかりでなく、適法手続というべきところ、本件修正申告においてはこれらを欠くものであるから、上告人の意思が全く含まれていないことが火を見るより明らかで、原判決は明らかに経験則に違反がある。

以上いずれの点よりするも原判決は違法であり破棄されるべきである。 以上

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